花より根っこ(6月27日)
大学の先生が保育者を目指す学生に「最近感動したとか、おもしろかったとか、心が動いたことがあったら、話してくれませんか?どんなに小さなことでもいいです。」と質問されたところ、しばらくしてやっと手を挙げた学生が「正門のそばに咲いていたチューリップがきれいでした」と答えた。その勇気と犠牲的精神には感謝しつつ、他にあるかと尋ねたところ、別の一人が手を挙げ「チューリップがきれいでした」と。言葉に詰まりつつ受け止めていると二人は顔を見合わせて満足げな様子。気を取り直し、別のことがないかを尋ねたところ「私、今日誕生日です」ああ…嬉しいのねと必死に受け止めていると、別の手が挙がり「明日、私の誕生日です」。質問の意味が分からないとは思えない。しかし全く実感のこもらない、本当に心が動いたという内実を伴わない拙い表現に落胆されたとのことです。原因は大学生になるまでの18年間にあるのではないか。みんな同じことができるようにと指示されて、大人の顔色を見て評価におびえて生きてきたからではないか。幼いころから、自分の思いとは異なる大人の期待に応えようとするために、自分の感じたことを深いところに閉じ込めないとつらくて現実に対応できなかったのでしょう。と書かれています。(保育ナビ4月号「人材育成は花より根っこ」東京家政大学 井桁容子先生)
日は変わって、先日「円卓」という映画を観ました。芦田真菜演じる「こっこちゃん」という小学校3年生。算数が苦手、大阪弁丸出し、“普通”大嫌い、人と違っていることがかっこいいと感じる、心の自由な女の子です。同じ団地に住む一番仲良しの吃音の男の子“ぽっさん”、勉強ができてお金持ち、だけどお家には複雑な事情がありそうな男の子“朴くん”などと日常・非日常のいろいろな経験をします。同居するおじいちゃんから教わった『イマジン』という意味を???ながら、最後はクラスのなかで孤立している悩める女の子に満面の笑顔をもたらす大活躍をします。こっこちゃんのIQや偏差値がどうなのかはわかりませんが、本当に頭のいい子だなあと感心しました。いや!頭ではありません。心の動きがすてきなのです。正解のある問いに正しく答えを出したり、相手の用意した答えに期待通りに応えるという頭の良さではないのです。自分の感じたこと考えたことが友だちと同じではなくとも、この違いを「へえー!」「なんでやのん?」「面白いやん!」と心が動き、実感を伴った財産となっていきます。
特に幼児期の教育には「心技体」「知徳体」のバランスよい発達を促すことが期待されています。健康な体や体力、頭脳・知力をすくすくと伸ばしていくとともに、せっかく頂いた体や頭・命を、世のため人のために正しく使う心を育み鍛えることが何より大事なのではないでしょうか。
☆今日は園の畑で採れた玉ねぎを使って、カレーパーティーをしました!
年長さんが玉ねぎ切をしました。左手は猫の手、右手は包丁をしっかり持って!
先生が作ってくれたカレー、美味しいね(^.^) おかわりして、一杯食べました。