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2010年05月31日

“ 玉ねぎ 抜けた!!”

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本園には、園敷地の一角に野菜畑があり、色々な作物を栽培しています。5月の初旬には、園児がサヤエンドウを収穫し、家に持ち帰りました。先週は、1週間かけて園児全員で野菜畑から玉ねぎを収穫しました。この収穫した玉ねぎを“おいしくなあれ”と園児がおまじないをかけて園舎裏に干しました。7月の園行事であるカレーパーティーで調理して食べます。
 子どもたちは、日々の生活の中でさまざまな体験を通して“心と身体”を成長させていきます。学園では各校種で『環境教育』に取り組んでいますが、幼稚園教育においても、従前の教育課程を環境教育の視点からも再構築して実践しています。野菜の栽培・観察・収穫、そしてそれを食材として「食べる」。この食べるということは、人が生きていく基本である《食べる力》を育てる「食育」へとつながっていきます。
 園児たちは、自然環境で育つ食材が植物としてどのように栽培され、どのように成長するかという植物的体験を通して、自然の素晴らしさや季節感を感じ、それを食べることによって安心感や豊かさを学んでいって欲しいと思います。

2010年05月27日

歴史を紡ぐ幼稚園

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1924年(大正13)12月1日に橋詰良一氏によって創設された「雲雀丘家なき幼稚園」から今年で86年目になります。雲雀丘自然幼稚園・雲雀丘幼稚園として名前を変えながら続いてきた園は、1950年(昭和25)8月24日に『雲雀丘学園幼稚園』として誕生しました。この学園創設の経緯は以下の通りです。
 第二次世界大戦が終わって間もない1949年(昭和24年)2月、雲雀丘、花屋敷の住宅地の子どもたちが多く通学していた隣の市の大阪第二師範学校付属池田小学校の入学試験が「文部次官通達」により(終戦後、アメリカ進駐軍が占領政策で日本の「教育の民主化」政策を進める中で、付属小学校は富家の子弟ばかりの入学を認めているのが実態である。一般の子どもの入学を認めて庶民教育をするべきであり、志望者が多ければ抽選で入学者を決めよとの通達)抽選が実施され、抽選にもれた雲雀丘幼稚園の卒園児である雲雀丘、花屋敷地域の子どもが多数出ました。その結果、兄姉が付属に通っているのに弟妹が入学できない現象に彼らの保護者の中から“池田付属小学校のような学校を設けたい”との希望が生まれ、その結果、雲雀丘幼稚園園長大原たま先生や雲雀丘・花屋敷地域の住民が中心となった「雲雀丘小学校創立委員会」が発足して小学校創設運動が進められました。結果、1949年(昭和24)4月15日に西谷村雲雀丘分教場として小学校が発足することになりましたが、発足時の小学校分教場の場所は「雲雀丘幼稚園」の園舎でした。ここから60年の雲雀学園の営みが始まることになったのです。ちなみに、1950年(昭和25)9月、学園が学校法人として認可された時点で、雲雀丘幼稚園園長大原たま先生(雲雀丘学園幼稚園名誉園長に就任)の名義にて幼稚園の建物土地共、雲雀丘学園に寄付されています。
 ところで、このような親の子どもに対する“深い愛”と学園創立の経緯は本園の『創立の精神』である「親孝行できる子どもは何でもできます」に深く反映されていると考えます。

2010年05月26日

心をそだてる

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 今日(25日)は、年長さんの茶道教室が開かれました。茶道ときくと「お点前」の順序を覚えるのがめんどうで・・・という印象を持つ方もおられると思いますが、茶道は決して手順をおぼえるために稽古するものではありません。【心をそだてる】ためにするものです。長く修行しているお茶人はすわっている姿にもその修養があらわれます。もとより、小さな園児に長い修行を求めるものではありません。まずは茶席でお菓子とお茶をいただくことからはじめます。
 さて、30人の年長さんは園の玄関に整列、そろって告天舎に移動しました。告天舎ではお迎えしてくださった先生に教えられ、きちんと15人ずつで靴をそろえて上にあがりました。告天舎には本格的な茶室があります。その茶室に毛氈をひき、正座した園児たちはまず、お辞儀のしかたをならいました。きちんと「いただきます」と礼をしてから、懐紙の上にのせたお菓子を上手に楊子をつかっていただき、お茶碗を先生に教えられたようにしっかりともってお茶をいただくことができました。しかし、茶道教室はお菓子の食べ方、お茶の飲み方を教えるものではありません。ごあいさつからはじまって「ありがとうございました」でおわるまで約30分、ほとんどの園児がきちんと正座することができました。そして、お茶とお菓子をいただいて、友達と一緒に楽しい時間を過ごす。この30分の積み重ねが、子ども達の集中力を養い、心を育んでいくのです。
 さて、お茶の感想は?「おいしかった!」みんな元気に答えていました。

2010年05月25日

地域とともに

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雲雀丘学園は、地域から発祥しました。戦後の揺籃期の1949年(昭和24)2月の大阪第二師範学校付属池田小学校の入学試験(抽選入試)選考で、「雲雀丘幼稚園」(現阪急雲雀丘花屋敷駅西口付近に園舎がありました)の卒園児たちが、多数の抽選もれ不合格となりました。この事態に端を発した雲雀丘・花屋敷地域の住民の小学校創設運動の結果、誕生したのが雲雀丘学園です。学園創立にあたり、私立学校として出発するには理事会組織が必要となります。そこで、川西市寺畑にお住まいだった寿屋(現サントリーホールディングズ)の創始者である鳥井信治郎氏に理事長にご就任いただきました。鳥井先生の入学式・卒業式の式辞は、決まって“親孝行”の話でした。朝起きたら、保護者に“お早う”、学校から帰ったら“ただいま”、夜寝るときは“おやすみなさい”と挨拶しなさい、「親孝行のできる人は、人間としても立派になれる」というものでした。これらからも窺い知ることができるように、学園の創立の精神『親孝行』は親たちの願いが深く反映されたものです。またその結果、学園創立時から学園運営には熱く保護者たちが関わったことにより、学園理念の「園児・児童・生徒」・「保護者」・「教師」三位一体の教育理念が育まれたと考えられます。
 このように、雲雀丘学園は地域(住民)によって創られ、地域(住民)によって育まれてきました。今後とも、地域(住民)とともに歩んでいきたいと考えます。

2010年05月21日

地域に学ぶ

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 年長の保育プログラムの一つである『幼年消防クラブ』で、本園近くの山本にある宝塚市東消防署を年長さん全員が本日訪問しました。園児たちは「 火の用心 取り締まり用心 」と染め抜いた法被を着て、消防士のお兄さんの丁寧な説明をうけました。実際の消防車(ポンプ車、救助工作車、化学車など)を前にした説明でしたので、その後の園児の質問内容は興味津々の鋭いものでした。その後、近くの“あいあいパーク”の広い芝生の上でお弁当を食べ、少し遊んで電車に乗り、全員無事園に戻ってきました。
 園近隣の地域を保育に活用するという、優れて素晴らしい体験学習であったと思います。


2010年05月20日

絵本の貸し出し

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「絵本の部屋」で週3回、早朝時に絵本の貸し出しをしています。年少・・・火曜日、年中・・・木曜日、年長・・・金曜日です。1回に1冊、貸し出し期間は1週間で、返却日に借りた本を忘れた園児は次の本を借りられない規則となっています。 
園児たちは、登園すると必ず「お着替え」をして、8:30~9:00頃までに絵本の部屋に来ます。貸し出し担当教員にとっては、全園児たちと一対一で関わることの出来る機会なので、一人ひとりと会話しながらその日の心身の状態や変化に気づけるように目を配っているようです。園児たちにとって、やはりその子その子の好きなジャンルがあり、総じて女の子はシリーズものでは「日本昔ばなし、アンデルセン系・お姫さま系の本」に人気が集まっています。「なぞなぞ絵本・図鑑・恐竜物」には全園児に人気があるようです。多くの園児が絵本を借り出しますので「絵本」は学期毎にチェックし、年度末にはボロボロになった絵本は取り除くようにしています。多くの園児が絵本に親しみ、“絵本”を通じて“せかい”を広げ、深めてもらいたいと思います。

2010年05月19日

5月のお誕生日会

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ホールに全園児が集まり、5月のお誕生日会が開かれました。 誕生日を迎えた園児たちは、年少さん8名、年中さん8名、年長さん9名の総計25名です。「朝のうた」を全員で歌い、いつものように誕生日を迎えた園児たち25名がホール壇上に上がり、年少園児は「好きな食べ物」を、年長・年中園児には「大きくなったらなりになりたいか」を、大きな声で発表していました。好きな食べ物は「キュウリ、りんご、トマト、バナナ」など、なりたい職業は「神様、電車の運転手、消防士、お医者さん、お花屋さん、飛行機の運転手、パイロット、ロボットを作りたい、車屋さん、社長さん、プリキュア、警察官」などでした。今月の園児の中では、お花屋さんになりたい子どもたちが6名もいたのが特徴的でした。
その後、壇上の園児たちに「うた(年少さんから・・・ことりの歌、年中さんから・・・おもちゃのチャチャチャ、年長さんから・・・スキップ  など)・先生たちによる“赤ずきんちゃん”の劇・ミニバラ」のプレゼンをしました。そのあと全園児は、保育室に戻って柏餅を食べて、今月のお誕生日会を終えました。
年少さんの担任が子どもに「今日、食べたお餅は・・・の質問に対して・・・しり餅」、年中さんでは6月誕生日の子どもが「泣きじゃくりながら、僕、呼ばれなかった・・・アナタは来月と宥める」、年長さんでは柏餅の葉っぱを一生懸命に嘗めたり、囓っていたり等など一つの行事にもいろいろな反応を見せる園児たちでした。

2010年05月18日

サントレ教育

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今年度の保育内容の充実の一環として、サントレ教材による「言葉の教育」である『サントレ』を導入しました。先週から各学年(年長・年中は5月、年少は6月から)で30分程度、DVDを活用して瞑想、通し読み、漢字カード、朗読などの保育を展開しています。サントレ教育は、良い姿勢を日頃から身につけていく瞑想の時間(“静”の時間)を大切にしながら、美しい日本語を幼少期より習得することを目的に考えられています。さらに「自分で考える力、自己を律する力、感じ取りイメージする力、表現する力を涵養する」とその保育目的を挙げています。
 園児たちへの『サントレ』保育を参観していますと、最初15~20分位は園児たちの集中力は持続してサントレに参加しているようですが、それ以降の時間帯における園児たちのサントレへの参加にはバラつきが見られるようです。今後、いろいろ研究し、保育形態を工夫しながらサントレ教育の“質”的向上を図りたいと考えています。

2010年05月17日

トライやる・ウィーク実施中

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今日から1週間、宝塚市立南ひばりガ丘中学校の2年生5名が「トライやる・ウィーク」で来園しています。年長組に2名、年中組に2名、年少組に1名配属しました。園児たちにとっては年齢の少し離れたお兄ちゃん、お姉ちゃんの来園ということで大変喜んで一緒に活動していました。
 「トライやる・ウィーク」は、兵庫県が1995年の阪神・淡路大震災、1997年の神戸連続児童殺傷事件を機に、地域を学びの場に、体験を通して、自ら学び考え、体得する「心の教育」としてスタートした教育活動
の一環です。すなわち、兵庫県がめざす「県民すべてがかかわる教育」を象徴する教育活動で、今年で実施12年目になります。
来園している中学生は、はにかみながらも園児の“お兄ちゃん、遊んで・・・”とか“お姉ちゃん、これして・・・”に励まされて、楽しく一緒に活動している雰囲気が保育室内に漂っていました。

2010年05月14日

ホームページが変わります!

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本園の「ホームページ(HP)」が、今日から変わります。“情報発信する幼稚園”として、『ブログ』を今まで以上に充実させたいと思います。
 今までの『ブログ』は「園長だより」と「保育の様子」で構成されていましたが、今回の再構成で「保育の様子」を「年少だより」・「年中だより」・「年長だより」と学年分割のブログにしました。今後、日常の園内の子どもたちの活動と保育の様子を、適宜ブログを通じて発信して行きたいと思います。日々成長する子どもたちの姿を是非ご覧ください。

2010年05月13日

年長さんの絵画展

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エントランスホールの四方の壁面に、年長園児の描いた絵画を年間通じて展示しています。年間保育日数を在籍数で割り、作品の展示期間を定めるとともに、展示作品の保護者のみなさんにもお知らせして鑑賞をお願いしています。
園では、成長期に感性を高める情操教育の一環として、絵画指導を推進していますが、幼児期の子どもの絵画表現には多様性があり、描きたいものを色で表現する子どももいれば、イメージを形にする子どももいることから、子どもの内なる個性や思いを引き出すよう指導を心がけています。
しかし、幼児期の絵画は“子どもの生活”そのものです。表現は、絵画活動のみで培われるのではなく、様々な体験の積み重ねによって培われるものといえます。
 豊かな本園の教育環境を最大限に活用して、実りある体験活動の保育を実践したいと考えます。

2010年05月12日

園児たちの昼休み

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幼稚園ホールにて
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エントランスホール・本の部屋にて
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保育室にて
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園庭にて

2010年05月11日

体重測定と授業参観

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昨日から各学年で「体重測定」が行われています。昨日は年長園児を測定しました。年長さんは、測定に慣れていることから朝に登園してきた園児からじゅんじ行いました。今日は、年少さんで実施しましたが、測定に慣れていない園児も多いところから、少々測定に時間がかかりました。本園には養護教諭が配置されていることから、「体重測定」は毎月実施・「身長・座高測定」は学期ごとに実施しています。これらの測定結果は月末にクラス担任から「成長の記録」としてお帳面で保護者にお知らせしています。これら園児の身体測定記録は、『・・・さんの成長記録  こんなに大きくなりました!』として、幼稚園入園時から卒園時までの3年間(年少・年中・年長)の記録を「卒園祝い」としてお渡ししています。       
園児たちの3(or2)年間の“からだ”の成長には目を見張るものがありますが、私たち教員一同は、園児たちの“心身の成長”を願いつつ保育を実践しています。
 ところで、今日は年長において10:00から「授業参観」を実施しましたが、多くの保護者の参観があり、保育中の園児たちの姿に見入っておられました。
 このように、本園では教職員一同、“園児とともに”・“保護者とともに”の保育観のもと日々保育活動を行っています。

2010年05月10日

ハナミズキ(花水木)

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園舎玄関横に少し前から白や薄ピンクの花を咲かせている樹木があります。“ハナミズキ(花水木)”です。この樹は、サクラの花が散った頃から花を咲かせはじめ、私たちの目を楽しませてくれています。ハナミズキは、ミズキ科の落葉高木樹で北アメリカ原産であり、花が同属のヤマボウシに似るところからアメリカヤマボウシとも呼ばれます。アメリカではバージニア州の州花になっています。最近は街路樹としてもよく見かける樹ですが、一青窈の代表曲の一つ「ハナミズキ」でも有名になりました。一青窈は「アメリカ同時多発テロ事件」発生時、ニューヨーク在住の友人からのテロ事件のメールを受けたことをきっかけに一週間ほどでこの歌の詞を書いたといいます。ハナミズキの花言葉は「あなたへの返礼、私の想いを受け止めて」ですが、日本における植栽は、明治末から大正期の日米にとって微妙な時期に深く関係しているようです。1912年(明治45)、当時の東京市長尾崎行雄がサクラ(ソメイヨシノ)の苗木をワシントン市に寄贈した返礼として、1915年(大正4)に贈られたのが初めです。現在も、東京の日比谷公園にその原木が残っているそうです。戦後の連合国軍のマッカーサー総司令官も特にこの花を好み、あちこちに植えさせたと伝えられています。
 私は、“人のこころを受け留めることのできる子どもを育てたい”と思いつつこの花を暫し眺めています。
 登降園時、一度ゆっくりとその花を眺めて見ては・・・と思います。

2010年05月07日

花まつり

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今日、幼稚園ホールで全園児が参加して「花まつり」(潅仏会)が開かれました。「花まつり」は、釈迦の誕生日(約2500年前)といわれる4月8日に各寺院で釈迦の誕生を祝って行う仏事で降誕会・仏生会といわれる法会です。日本では聖徳太子の時代、606年に元興寺で行われたのが最初です。潅仏会を「花まつり」と称するのは、もともとは浄土宗で呼称されていたものを子ども中心の祭りにふさわしい名称であることから一般でも用いられるようになったものです。美しい花で飾った花御堂という小堂の中に童形の釈迦像を立て、甘茶(正しくは5種の香水)をそそぎかけて釈迦の誕生を祝う祭りです。釈迦像に甘茶を注ぎかけるのは釈迦が誕生したとき、釈迦のからだに竜王が天から清浄な水を吐きそそいで産湯をつかわせたという説から、いまでも甘茶をかけるのだそうです。(ちなみに、甘茶を硯に入れて磨れば書が上達するというつたえもあります。)
園児たちはホール内に設けられた花御堂の中に立つ釈迦仏に、本園の保護者でもある池田市のお寺の住職さんに導かれて “礼”をし、竹びしゃくで甘茶をそそぎかけ、静かに手をあわせて、心の中で「おめでとう」とつぶやきながら、お釈迦さまの誕生をお祝いしていました。
宗教系でない本園にあってなぜ仏事の「花まつり」が教育課程に組み込まれているのか定かではありませんが、1969(昭和44)年度の本園の教育課程表を調べると5月8日「花まつり」と記されている所から少なくとも約40年前から実施されている本園の伝統的園行事(12月14日にはキリスト生誕祭の「クリスマス会」があります。)であったことが分かります。
“遊びと行事”で幼児は育つと考えられる教育的視点から設定された園行事だと言えるでしょう。
華やかな行事ではありましたが、厳かな雰囲気のなかでの園児たちの姿は微笑ましいものでした。

2010年05月06日

お母さんの似顔絵展

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5月の第2日曜日(今年は9日)は「母の日」です。
その日にちなんだ催し物として今、川西の阪急百貨店4階の子ども服売り場の一角にて、「お母さんの似顔絵展」が開かれています。そこに本園の年長の全園児が描いた「お母さんの似顔絵」が出展されています。園児たちから見たお母さんの姿が特徴豊かに描かれ、5歳の子どもの“感性の鋭さ?”を感じさせる力作ばかりです。
母の日は、日頃の母の労苦を労わり、母への感謝を表す日ですが、その起源は世界中でさまざまであり日付も異なるようです。日本では、1931年(昭和6年)に昭和天皇妃の香淳皇后の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたのが初めです。戦後の1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになったようです。
 近年では、「母の日」のプレゼントに耳目が集まりますが、この日はお家で家事のお手伝いをするなど、子供たちがお母さんに感謝して家族で過ごす日でありたいものです。
ところで、母の日ほど周知されていませんが「父の日」も世界中で日付もさまざまですが暦の中にはあります。ちなみに、日本では6月第3日曜日(今年は13日)です。